京太ねぎ伝説

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日本を代表する野菜は何でしょう?

「日本を代表する野菜は何ですか?」と聞かれた時、皆さんは何を挙げるでしょう。ダイコン、カブ、ゴボウ、エダマメ、ミズナ、シソ・・・・。まだまだあるでしょうが、ネギほど私たちの毎日の食生活に欠かせない野菜は他にはないと思います。ネギは冬の鍋料理はもとより、煮物や炒め物など幅広く使えます。みそ汁や冷奴、うどんやそばの薬味には季節を問わず毎日のように登場しますし、焼き鳥では鶏肉に劣らぬ存在感です。またネギの独特のにおいは硫化アリルという成分で、胃酸の分泌を促進して消化を助けますし、血行を良くする効果から疲労回復や冷え性の改善にも役立つと言われています。私たちの健康的な毎日を支えている観点からも日本を代表する野菜の筆頭と言っても良いでしょう。

日本のネギはどこから来たのか

ネギは中国西北部からチベット高原周辺が原産地と言われており、中国では2千年以上前から栽培されていたようです。日本にはその中国から伝えらえたと考えられますが、例えば『日本書紀』(720)には[女人答曰「秋葱之轉雙・・・]との記述が見られることから、少なくとも文献的には千年以上の歴史があります。品種的には『菜譜』(1714)において、[葱二種あり・・・]として分げつ性の冬葱と(分げつとは根元付近から芽が分かれて出てきたもの)、5月に生育盛んな夏葱が紹介されており、植え付け時期のほかに植え方や施肥についても記述があることから、江戸時代には既に作型ができてそれぞれに適した品種が分化し、重要な野菜として全国的に栽培されていたようです。

『菜譜』(1714)貝原益軒著

野菜に関して多くの著作のある故青葉高先生(元千葉大学教授)によれば、前述の「分げつ性の冬葱」は中国中部・南部で分化した葉葱群で、「5月に生育盛んな夏葱」は中国東北部で分化した太葱群で、前者は関西を中心に耕土の浅い西日本で多く栽培されている葉ネギ系に、後者はもっぱら東日本で土寄せして栽培する根深系に、それぞれ発展したとされています。そして代表的な品種群としては葉ネギ系では九条群が、根深ネギ系では千住群がそれぞれに分類されています。

葉ネギのいろいろ

さて葉ネギ系の代表種である九条群についてもう少し調べたところを説明します。「九条ねぎ」の名称の初出は不明なのですが、先述の「菜譜」や「本草図譜」(1828、岩崎灌園著)といった江戸時代の農書にはその名が見られず、明治中期の博物誌「有用植物図説」(1891)にはAllium fisutulosumとして[イハツキ子ギ]の名が出るのみで、これらの書籍からは「九条ねぎ」の名称は明治の頃にはまだ一般化されていなかったことがうかがえます。

一方昭和初期の『下川蔬菜園芸(再版)』(1929)や『實用農藝全書(第13版)』(1941)には九条ねぎが[京都府紀伊郡東九條村]の産であるとの記述があるので、明治後半から昭和の頃には一般的に“九条ねぎ”が認知されていたようです。

そして九条ねぎには分げつ多く葉色が淡緑色の浅黄種と、分げつ少なく太くなる黒種があったとされていますが、これらは今日まで伝わっている葉色淡く分げつ旺盛な“浅黄九条細ねぎ”と、葉色濃く分げつ少ない“九条太ねぎ”にそれぞれ対応すると思われます。

(左)浅黄九条細ねぎ、(中)九条太ねぎ、(右)一般的な根深ねぎ(参考)

伝説の九条ねぎとの出会い

ところで京都には一本ねぎに勝るとも劣らない太い九条ねぎがあると言われ、今までも何度かマスコミや情報誌などで紹介されることがありました。このネギは当然葉ネギですので根深ネギのように白身だけを食べるのではなく、緑の部分もやわらかく、葉の中にある餡と呼ばれる粘質の液体も多く、風味豊かなネギとして知られています。先ほどの浅黄九条細ねぎや九条太ねぎを九条ねぎの本流とするならば、この一本性の九条ねぎは農家の自家採種によって選抜、維持されてきたいわば傍流の品種であるといえます。
現在でもこのような九条ねぎを栽培されている生産者の方は何軒かおられますが、京都市伏見区で種苗店を営まれている株式会社イマイ種苗商會の会長、今井祥雄さんもその一人です。今井会長はお兄さんの今井博敏さんと一緒に、長年この分げつしにくい一本性の九条ねぎを維持されてきました。自家採種ですので、生産者ごとにわずかな違いがあるのですが、今井さんの品種は上賀茂神社で行われる農林秋祭りで入選されたほどの立派なものだったということで、現在九条ねぎの産地でもある鷹峯地区の農家さんたちにも一目置かれる存在だったようです。

下の写真はお兄さんの今井博敏さんが、京都九条地区でこの品種の干し苗を作っていた頃のものです。

ネギは短命種子に分類され、室温条件下ではほんの数年で発芽能が失われます。貴重な品種を絶やさず後世に伝えるためには毎年栽培し、品種としての特性を有している株を厳しく選抜して採種する必要があり、多大な労力がかかります。そこでトーホクでは今井会長からこの種子を譲り受け、販売することを許され、品種名“京太ねぎ祇園”として全国的に紹介させてもらうことになりました。

今井会長(中央)から品種特性の説明をうけるトーホク農場技術者たち

“京太(きょうふと)ねぎ祇園”の品種特性

一般的に九条ねぎは白身は少ないですが葉肉が薄くやわらかく、白身から青い葉まで全て食べることのできるネギです。“京太ねぎ祇園”はそのような九条ねぎの特性そのままで、やわらかい青身と根深ネギ相当の太さの白身が両方味わえる、食べ応え充分の品種です。

そして根深ネギとの決定的な違う点は、干しねぎができることです。ネギは、じめじめとした暑さを苦手とします。京都のような盆地では暑さと湿気が溜まりやすく、ネギの栽培には困難が伴います。過酷な夏を乗り越える九条ねぎ独特の栽培方法が干しねぎであり、関東の根深ネギでは見られない越夏の工夫です。一般的な根深ネギは干してしまうと逆に根を傷めて生育不良となりますが、この“京太ねぎ祇園”は九条地区で維持されてきたことから干しねぎ栽培適性を持ちます。この栽培方法により、暑く湿気の多い時期を休眠状態で乗り切り、さらにネギ表面を乾燥させることで農薬を使うことなく殺菌効果も見込めるのです。
また、機能性成分である食物繊維フルクタンの含有量を測定したところ、従来品種の3~5倍多く含んでいました。

A~Dは根深系一本ネギ品種(播種60日後の葉を供試して分析した)

関東以北では秋口から年内いっぱいは食味の良いやわらかい立派な葉ネギが収穫でき、関西以西では冬の低温でも成長し続けますので、1~2月の寒さがあたる頃には旨味が最高になり、他にはない味わい深い逸品となります。京都の一部にしか出回らなかった幻のネギを、ぜひ家庭菜園でお楽しみ下さい。

弘法大師と九条ねぎ

ところで京都には弘法大師がその昔、今は観光名所ともなっている東寺の近くで大蛇に追われた時に葱畑に隠れて難を逃れたと言う逸話が残っています。そのため京都の人たちの中には、毎月21日に行われる弘法市(弘法さん)の日には葱畑に入らずネギも食べてはいけないとの言い伝えを守っている人がいるそうです。しかしこの話を聞き、実際東寺の五重塔を見上げた時、もしかしたら一本性の九条ねぎの原種は弘法大師が遣唐使として中国大陸から持ち帰ったのではないかと、想像をめぐらせてみました。
大師はその素晴らしいネギが私たちの食生活を豊かにし、そして日本を代表する野菜となると見越していたのではないでしょうか?蛇の逸話はネギが薬味として様々な疫から身を守るありがたい野菜である象徴的な話として大師が遺されたものかも知れませんし、それほど重要な食べ物であるネギを大師の月命日に一日だけ絶つことは、ネギのありがたさと感謝の気持ちを忘れないよう自らに課した都人の智慧だったと考えるのはどうでしょう。東寺は平安京鎮護のための官立寺院として弘法大師が設計から関わられた建物です。五重塔の最上段にある九輪のそのまた先の宝珠は、よくみると葱坊主にも見えます。平安京の重要な建物の心柱に一本性のネギを見立てて、後世そのネギが絶えることのないよう種子が稔る葱坊主に似せた宝珠を付けさせたのではないかと考えるのは、やはり無理があるでしょうか。

宝珠部分の拡大写真(Photo by S. Ono)


東寺は世界遺産にも登録されており、五重塔は新幹線の車窓からも見える古都のシンボル的存在です。皆さんも一度東寺の五重塔、その先端の“葱坊主”をご覧になってはいかがでしょうか。


本稿は2019年2月に京都府立大学京都和食文化研究センターで開かれた和食文化学会で育種農場の小笠原慧研究員が発表した内容をもとに加筆したものです。発表に際して一本性九条ねぎに関する歴史や栽培特性を改めてご教授下さった株式会社イマイ種苗商會会長 今井祥雄様と、野菜に関する歴史資料などをご提供いただきました一般財団法人雑花園文庫 小笠原左衛門尉亮軒様に厚くお礼申し上げます。