第8回 アジア旅でであった畑と菜園家

  • 文字サイズ


 最近の夏の畑は暑すぎて、長時間いられる場所ではありません。命を守るためにはサボることも大事。というわけで、私は一人飛行機で異国へ遊びに行くことがよくあります。とはいえ、目が行くのはやっぱり現地の菜園や野菜。日本との違いに驚いたり感心したり。自分の畑でまねをする工夫もあります。今回は、アジアでであった畑や菜園家の思い出話をしましょう。

インド

 北部のヒマラヤ山麓の村に友人が多い私は、インド人家庭に泊まるのですが、近隣には庭の一角を菜園にしたり、近くに畑を借りたりしている家庭が少なくありません。育てているのはオクラやナス、キュウリなど。キュウリはちょうどこの辺りが原産地とされ、よく見かける品種は日本のものより大きめで太く、別のウリかと思ったほどです。塩とスパイスを振って食べるのがインド流。熟しかけた実も食べるので、市場では黄色くなり始めたキュウリも売られています。

 赤タマネギもよく生食されます。あるとき、友人がその日食べるタマネギをとるのについていくと、そこはビニールマルチどころか畝すらない原っぱのような畑。野菜はこれくらいおおらかに育ててもいいのだなと感じたものです。ちなみに彼女は畑仕事もサリー姿。長い布を日除けにかぶり、その布で汗をぬぐう仕草は優雅です。

 インドでは苗の店ものぞきました。裏庭で苗を育てて売る直販で、そこには牛が1頭飼われていました。糞を堆肥にして植物を育て、栽培中に出た残渣は牛に食べさせているのだそうです。

中国

 中国の街中ではコンテナ栽培をよく見ます。植木の露店では野菜のポット苗が売られ、店員に植え替えてもらっている人も見たことがあります。鳥や金魚、園芸などの趣味人が集う市場があり、同じ趣味を持つ者同士があれこれ話している様子も楽しそう。その市場でA5サイズはある巨大なインゲンのタネ袋が並んでいるのを見たときは、唖然としました。趣味の菜園用だとすると、どれだけ広大な畑なのでしょう!

 笑ったのは、街路樹の根元に長ネギが何本も植えられていたことです。近所の人がちゃっかり利用しているのか、根元を残して切った跡までありました。再び伸びたらまた収穫するのでしょうね。

 東北部の市場で見つけたのは、全体の3分の2が緑色をした超青首ダイコンです。触るとかたくて、あまりおいしそうではありません。ところが帰国後、日本でもタネが売られていると知って試しに育ててみたところ、緻密で水分の少ないこのダイコンが、漬物や大根おろしにするととてもおいしいことを知りました。

韓国

 ソウルの食堂で食感のよいウリを食べました。店の人がカボチャだというので、その足でタネ屋さんを探すと、見せてくれたタネ袋にはズッキーニに似た野菜の写真。最近では日本でも各種苗会社がタネを扱っている「韓国カボチャ」でした。韓国ドラマをご覧になる方には「エホバク」と言ったほうがおなじみかもしれません。カボチャといえばこれをさすほど、韓国では人気の野菜です。

 皮はサクッ、中はトロッとするこのカボチャが好物で、わが家では育てない年がありません。形こそズッキーニですが種類は異なり、ツルを伸ばして育ちます。チヂミやナムル、お味噌汁にしてもおいしいのに、皮が傷つきやすいため日本では流通されにくいとか。自分で育てれば好きなだけ食べられるので幸せです。

ベトナム

 南部のホーチミンは人口過密な大都会で、戸建ての家は縦に長く庭はほとんどありません。ですが野菜を育てている家は意外と多く、いくつものプランターをひな壇のように置き、省スペースにうまくまとめたコンテナ菜園を見ると感心します。

 友人は5階建ての屋上を菜園にしています。灼熱の屋上では朝晩の水やりが日課で、散水ホースでたっぷりまきます。育てているのはミニトマトや角オクラ、ゴーヤや香草など。ミントやドクダミなどの香草はベトナム料理に欠かせない食材です。ベトナムのゴーヤは小ぶりでライムグリーン、苦味がマイルドで、肉などの具を詰めてスープ煮にするのがポピュラーです。盛大に祝う旧正月にもゴーヤを食べるのは、「苦難を乗り越え新年を迎える」という意味があるそうです。

 ベトナムで習ったのは、カボチャの花を食べること。たくさん咲く雄花を摘み、雄しべを取り除いて炒めると、ほんのり甘くておいしいのです。雌花はもったいなくて摘み取れません。

トルコ

 友人の住むイスタンブールのアジア側の町には、中心部にコミュニティー菜園があります。開発されかけた土地を住民が守り、農園にしたのだとか。いつも町の誰かがいて、のんびりと畑時間を過ごしています。

 市場の露店で驚いたのは、トウガラシなどの苗が、土から抜かれて輪ゴムで束ねられ、山積みで売られていたこと。よくしおれないものだと写真を撮っていると、店のおじさんに「何が珍しいんだ?」という顔をされてしまいました。

 心躍るのは菜園家との出会いです。晩秋、城壁に囲まれたイズニクという町を散歩していたら、道の脇に家庭菜園を発見。おじいさんが一人、焚き火にあたりながら畑をながめてお茶を飲んでいました。「メルハバ(こんにちは)」と声をかけると、彼は突然現れた彫りの浅い顔に驚き、でもすぐに笑顔になって、私を手招きしてくれました。言葉は通じませんが、一緒に畑を歩き始めたら、そこは菜園家どうし、話ができるものです。「これは黒キャベツ」「これはカブじゃないよね?」「うん、ダイコンだ」。カブに似た形の黒ダイコンです。私もスマホを取り出して畑の写真を見せたら、「いい畑だ」とほめてくれました(そう聞こえたのです)。最後は焚き火にあたりながらお茶をごちそうになりました。

スリランカ

 スリランカの山の宿に1週間連泊したとき、宿の菜園の庭師と仲良くなり、早朝6時から彼について回って畑仕事を手伝いました。菜園の畝は20cmを超えていたでしょうか。「畝が高いね」と日本語で言えば「雨が多いからな」とシンハラ語でこたえ、手振りをまじえて会話が成り立っていました。タネをまいたあと、彼はシダのような草の葉でその周りを囲いました。「タネを食われないように、鳥避けだ」とジェスチャー。私は自分の畑でこれをまねしています。豆のタネをまいたあとなどを、開いたコゴミの葉で囲って守るのです。

 彼の畑道具は鍛冶屋の作った頑丈なクワとナタだけ、草木灰をまく器はヤシの実を半割にしたお椀でした。宿の支配人が、「田んぼには神様がいるから靴では入らない」と教えてくれましたが、彼がいつも裸足だったのは、畑にも神様がいるからなのかもしれません。ある朝寝坊した私は、庭師が一人、用水路で水をくみ、数日前にまいたタネに丁寧に水をやる光景を目にしました。その営みは美しい自然の一部になっていて、今も脳裏に焼き付いています。食べ物は自然が授けてくれるもの、だから自然と調和した野菜づくりをしなさいと教えられた日々でした。


 私は自分の畑で、ふとした拍子に思います。トルコのおじいさんは、今日も畑でお茶を飲んでいるかな。スリランカの庭師は畑に水をやっているのかなと。遠く離れた国で、自分と同じように野菜を慈しんで育て、畑の空を見上げて気持ちよさそうにしている菜園家がいる。そう想像するだけでとても幸せなのです。

(2025年7月1日。隔月で連載しています。次回は9月1日に第9回を掲載します)

金田 妙
フリーライター。児童書を中心に活動。未経験から家庭菜園を始めて15年目。季刊「うかたま」(農文協)に畑のエッセイ連載中。NHK出版「やさいの時間」にも原稿を書き、堆肥代を稼ぐ日々。野菜と花を混植した生き物あふれる畑が好み。ビギナー時代の菜園エッセイ『シロウト夫婦のきょうも畑日和』(農文協)発売中。
https://www.instagram.com/taekanada
高田 真弓
イラストレーター。東京と茨城を行ったり来たりしながら平日は原稿に、週末は土にまみれる生活を楽しんでいる。雑誌ダイヤモンドZAiで漫画「恋する株式相場」、学研のwebサイト【こそだてまっぷ】で漫画「ウチュージンといっしょ」を連載中。無類の亀好き。
http://www.9taro.net/