第1回 育てましたよ、はっはっは!
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里山の雑木林の脇に、真新しい「貸し農園」の看板が立ちました。くたびれていた材を、農園の大家さんが取り替えたようです。新しい借り手を募っているのかもしれません。かれこれ15年前、その同じ場所にこんな立て札が立っていました。
「貸し農園あります。1区画平均100㎡。年間3万円」
たまたまそれを見た私は、「野菜作りなんて冗談じゃない」とあきれる夫をねじふせ、気まぐれにその畑を借りたのです。
おもしろそうだとは思ったのですが、まさかこんなに続くとは。「なんで土日まで働かなくちゃいけないわけ?」と手伝いを拒んだ夫も、今ではすっかり菜園家。土日どころかゴールデンウィークまで畑で汗を流しています。
5月の連休は夏野菜の植え付け時期。トマトやピーマンの苗を植えたり、エダマメやトウモロコシのタネをまいたりで、農園はフルメンバーが揃うほど賑やかです。車のトランクから夏野菜の苗をおろしていると、めざとく見つけたお隣さんに聞かれます。
「育てたの? 買ったの?」
「買いましたよ……」
と、ビギナーのころはもじもじ答えていました。
当時わが農園には“育苗組”がやけに多く、私の区画をはさんだ両隣も、
「夜はお風呂の湯ぶねにふたをして、そこにナスの苗を乗せて保温してるんですよ」
「そりゃあいいアイデアですね」
などと話していたのですから、初心者を言い訳にしても引け目を感じたものです。
でも今の私はこう答えます。 「育てましたよ、はっはっは!」
はっはっはと、胸を張りたくもなるのです。だって頑張ったんだもの。タネをまいたのは3か月も前。植え付けまでに何があったのか、ざっと書き出してみましょう。
■最低気温が氷点下という2月の初め、湿らせたキッチンペーパーにトマトやピーマンなどのタネを包んでジッパーつきの小袋に入れ、昼も夜もポケットに入れて体温で発芽適温を保ちました。
■タネが酸欠にならないよう、日に何度もポッケから取り出しては袋の口をパカパカ全開に。
■3~5日もすれば白い根がのぞくので、セルトレイにそっと植えつけます。
■押し入れから衣装ケースを引っ張り出し、中の夏服をぶちまけたら、それがしばらく温室がわり。セルトレイをおさめます。
■双葉が出た日は、赤飯を炊きたいほどのうれしさです。日中はケースごと日当たりのよいベランダへ。ふたをずらして換気するときは、寒さに注意します。
■夕方気温が下がる前にケースを部屋に取り込み、ホットカーペットの上へ。夜は、湯たんぽをケースの端に置き、羽根布団をかぶせます。
■本葉が開けば、ケーキでお祝い。茎がしっかりしたらポリポットに鉢上げし、名札に品種名を書くのも幸せでした。
■ベランダに園芸用の簡易温室を組み立て、苗をならべ、あとは来る日も来る日も観察。水やり、換気、施肥と、1日も欠かさず世話をして、3か月育ててきたのです。
「はっはっは!」と胸をそらせたくもなるでしょう。でもじつは、自分よりずっと誇りたいのが、苗なのです。
夏野菜の育苗は、温度管理のできる保温育苗器があれば難しくありません。それをケチってあれこれ雑なやり方をする私に、タネも苗もつのる文句が山ほどあるはず。それでも真っすぐ育ってくれた苗たちが心底誇らしく、農園中に見せて回りたいほどなのです。
なぜタネから育てるの?と聞かれたら、「好きな品種を育てられるから」と答える菜園家が多いでしょう。畑仲間は、「自分でできることは試したい」とも言いました。私はそこに、「楽しいから」を加えたい。
「苗半作(苗がうまく作れたら、その野菜は半分作り終えたようなもの)」という言葉がありますが、私にとっては「苗半楽」。タネから苗まで育てる過程が、栽培の楽しさの半分を占めていると感じています。
5月の連休、苗を畑に植えます。それはまるでわが子の卒園式。苗を作る「種苗場」を園芸用語で「ナーセリー」といいますが、nurseryは文字通り「保育園」という意味です。
「え~、本日はお日柄も良く、ついに定植の運びとなりました。思えばこの3か月……」
祝辞を述べようとすると
「さっさと植えてね。ほかにもやること山積みなんだから」
と、育苗の苦労を知らない夫がせかします。
買った苗なら、ここまで丁寧には植えません。新しい世界に踏み出した苗たちがまぶしく映るのは、初夏のお日さまのせいばかりではないでしょう。
でもやっぱり手放すのは心配。しばらくはそわそわした日が続くのです。
(2024年5月1日 隔月での連載予定です。次回は7月1日に第2回が掲載されます)
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